◇◇ 料 理 ◇◇

◇アップルパイ作りに失敗したお菓子
◇鮒寿司 ◇鰻の高騰
◇イタリア米 ◇江戸時代のベストセラー本『豆腐百珍』
◇ババとサヴァラン ◇フランスのウェディングケーキ
◇ユダヤ人の朝食パン ◇ジビエ料理
◇韓国料理 五味五色 ◇肉じゃがと海軍料理
◇「てっさ」「てっちり」の語源 ◇韓国の屋台料理『トッポッキ』
◇豆腐を奴に切る ◇中国風の精進料理 『普茶料理』
◇メロンパンのルーツは海の向こう ◇祇園祭に欠かせない鱧料理
◇ザッハトルテの「甘い7年戦争」 ◇そば粉を使ったクレープ「ガレット」
◇クグロフとマリー・アントワネット ◇明日香地方の郷土料理『飛鳥鍋』
◇鹿児島名物『かるかん』 ◇ピザとイタリアパン『フォカッチャ』
◇ちらし寿司の由来 ◇マクロビオティック料理
◇トムヤンクン ◇ハーメルンの名物料理「ねずみのしっぽ料理」
◇シーザーサラダの由来 ◇松花堂弁当の由来
◇雑煮の由来 ◇ピンチョスというスペイン料理
◇生そばと二八そば ◇豆腐は「豆が腐ったもの」?
◇名古屋名物”ひつまぶし” ◇秋の七草(葛)を使用した和菓子
◇鵜匠は国家公務員 ◇クロワッサンとトルコ軍
◇日本人シェフのお店がミッシェランの一つ星に ◇端午の節句と柏
◇カルパッチョは病人食 ◇フランス料理の起源
◇赤飯の由来 ◇「ういろう」は固有名詞
◇土用の丑の日にどうして鰻をたべるの ◇煮魚の煮こごりは体にいい
◇料理店の”盛り塩”の意味 ◇懐石料理と会席料理の違い
◇温泉たまごの簡単な作り方 ◇桜餅には関東風と関西風があります



アップルパイ作りで失敗したお菓子


『タルトタタン』とは、バターと砂糖で炒めたりんごの上にパイ生地をのせて焼いて、ひっくり返してりんごの面を上にして食べるお菓子です。
このお菓子はフランスの"ホテルタタンのタタン姉妹"がアップルパイ作りに失敗して偶然できたお菓子。アップルパイを焼いている時にパイ生地を敷き忘れて慌ててパイの生地を後からのせて焼いたところ、飴色のリンゴがとてもおいしい お菓子が出来上がったのです。それからこの菓子は評判を呼びフランス中に広まり伝統的なフランス菓子としてしられています。
そんなタルトタタンを京都で30年前から作っていると言うお店があります。『ラ・ヴァチュール(La・Voiture)』平安神宮の西側にあります。ここのタルトタタンは1ホールに15?18個ものりんごを使ったお菓子で、大正7年生まれのおばあちゃんがフランス旅行の際食べたタルトタタンの美味しさに感激し独自のレシビで再現したもです。その味はフランスの『タルトタタン協会』から何度も表彰されたとか。今はおばあちゃんの味はお孫さんに受け継がれているのだそうです。

(参照)ホテルタタンのHP   Living Room cafe のHP
『木村衣有子 京都の喫茶店』平凡社   tout le mondeのHP



鮒寿司


滋賀県の郷土料理といえば鮒寿司。鮒寿司は塩漬けした『鮒』をご飯で漬け込み発酵させた保存食品です。納豆やチーズとよく似た独特な香りがします。独特の味と香りから敬遠される方が多いですが、食通にはたまらない味だといいます。
鮒寿司の歴史は古く弥生時代に中国・東南アジア方面から日本に伝えられた”なれすし”が起源といわれています。なれすしは川魚を保存するための知恵として生まれました。製法が伝わった近江では琵琶湖で豊富に採れるニゴロブナを保存する方法として定着しました。昔は近江の各家庭で漬けられ、夏前に漬け込んだ鮒寿司は、お正月頃ちょうど食べ頃になり、お節料理に、またお祭り結婚式などのハレの日のご馳走として重宝されてきました。現在では原料となるニゴロブナが減少したため、滅多に食べられない高級品となっています。
鮒寿司は寿司と名前がついていますが、鮒のまわりについたご飯を取り除いてそのまま薄切りして食べます。いろいろな食べ方があるようですが、鮒寿司好きが絶賛するのがお茶漬け。機会があればぜひ一度味わってみたいと思っているところです。お薦めは湖里庵。

(参考)All AboutのHP    JAPAN WEB MAGAZINEのHP



鰻の高騰


今年は養殖に必要な稚魚(シラスウナギ)が不漁なため鰻の価格が上昇しています。
日本の鰻の99%が養殖。養殖は卵から育てる完全養殖でなく、海から日本の川に上がってくるシラスウナギを捕まえて大人まで育てるものです。このシラスウナギが減っているのが値上がりの原因です。シラスウナギの仕入れ価格が今年は1kg当たり200万円ほど、昨年の3倍近くに上昇。そのため鰻の取引価格も上昇しているのです。シラスウナギの減少の理由は、はっきりとは分かっていませんが、エルニーニョ現象などによる海流の変化に加え、乱獲が原因ではないか言われています。
鰻は日本から南に2500kmも離れたグアム島付近で卵を産み、生まれてすぐに潮の流れに乗って日本へやってきます。日本の川や湖で暮らし大人になり、そして生まれた場所で卵を産むために、また海に帰っていきます。
現在の鰻の養殖は、シラスウナギの数により生産量が左右されます。そこで期待されるのは完全養殖。2年前に完全養殖に成功していますが、まだ鰻の生態に不明な点か多いため、実用化のメドがだっていないそうです。



江戸時代のベストセラー本『豆腐百珍』


今年の夏はとても暑くなりそうですね。食欲のない夏にはお豆腐料理がお薦めです。
豆腐は奈良時代に中国から伝わり、最初は僧侶や貴族などの特権階級によって楽しまれたそうです。庶民の間に広まったのは江
戸時代になってからです。天明2年(1782年)に出版された豆腐料理のレシビ本『豆腐百珍』は爆発的な人気を呼び、続編
(138種類)、続々編(40種類)まで出版されるほど豆腐料理が盛んに作られたようです。
『豆腐百珍』は、醒狂道人何必醇(すいきょうどうにんかひつじゅん)が著したもので、100種類の豆腐料理を紹介しています。面
白いのは豆腐料理を、尋常品(26)、通品(10)、佳品(20)、奇品(19)、妙品(18)、絶品(7)など6種類に分類していることで
す。小倉豆腐、空蝉豆腐、かすてら豆腐、鞍馬豆腐・結び豆腐など・・・・・・興味深く、味わってみたい料理が多数掲載されてい
ます。

(参考)カルチャー・食-ingのHP   豆腐屋ドットコムのHP



イタリア米


リゾットはイタリアの代表的な米料理です。日本の雑炊と違いお米を炊かず、お米をバターで炒めてからスープで煮詰めて作ります。 スープがなく少し芯が残る状態に仕上げます。お皿に盛ったときに盛り上がった状態になるように煮詰めるのがポイントです。具材は豊富で、ポルチーニ茸などのキノコ、パルメザンチーズなどのチーズを使ったリゾット、他にもイカ墨、野菜や魚介、サフランなどさまざまです。変り種としてはイチゴ、メロンなどのリゾットもあります。
リゾットに使用されるイタリアのお米(カルナローリ米)は、日本のお米の約2倍近い大きさがあり煮崩れしにくく、スープなどを良く吸収しますので、リゾットに最適です。イタリアでは、お米は洗わずに料理に用いられます。日本のお米を使用する場合は、粘りがでるためあまり混ぜすぎないことが大事です。かき混ぜすぎるとお粥になってしまいます。ちなみに、リゾットはスプーンで食べるのでなく、フォークで食べるのが正式です。

(参照)asahi.comのHP    サフラン こちら こちら



フランスのウェディングケーキ


6月といえば、『ジューンブライド』  6月の花嫁は幸福になれるといわれています。
最近、結婚式で、フランスのウェディングケーキ『クロカンブッシュ』というケーキを取り入れているカップルが増えているようです。クロカンブッシュとはフランスで最も一般的なウィディングケーキです。小さなシュークリームを糖液で接着くさせながら円錐型に積み上げたものです。円錐型の先端には結婚する二人をかたどった人形、バラなどが飾られます。シューはキャベツを表し、子孫繁栄の願いと豊かな収穫を願う意味があり、幸せが天まで届くように、また、シューのひとつひとつが、二人を支えてくれた人々を意味するためできる限り高くする傾向があります。
ケーキ入刀は、ナイフではなく、木槌で打つのが本式です。また、クロカンブッシュには、“ポワール・ウィリアム”という洋梨のお酒がつきもので、花嫁と花婿の父が最初にこのお酒を口にし、クロカンブッシュとともに招待客に配られ、幸せと喜びを分かちあうそうです。



ババとサヴァラン


クグロフはマリー・アントワネットのお気に入りで、鉢形の側面を少し斜めにねじれたようにひだがついたお菓子です。クグロフは、ルイ
15世に娘を嫁がせたポーランド王スタニスラス・レクチンスキーも大好物でした。ある時、宮廷で出されたクグロフがパサついていたので、ラム酒をかけて食べたらことのほかおいしかったそうです。このお菓子「アリババ」は、王様の愛読していた「アラビアンナイト」の主人公アリババの名前に由来しています。
そして、時代は19世紀のパリ。このお菓子をコルク栓のような形にして「ババ・オ・ロム」(ババ)という名前で売り出したのが、パリのストレールというお店です。
その後、ストレールで修行していた菓子職人ジュリアンがババをアレンジしてつくったのがサヴァランです。美食家として有名なブリヤ・サヴァランの名にちなんでつけられたもの。シロップはキルシュ酒を使用し、形はリング型で中央に生クリーム・フルーツをちょこんとのせたものです。このサヴァランは、クグロフ → アリババ → ババ → サヴァランと改良に改良を重ねた歴史の長いお菓子です。

(参考)Sweet CafeのHP   E・recipeのHP



ジビエ料理


最近、ジビエ料理を提供する店が増えてきています。ジビエとは牛や豚などの家畜でなく、野山で狩りをして手に入れる野生の野
鳥・獣の総称です。鴨、野うさぎ、鹿、雉、ハト、山ウズラなど。もともとジビエという言葉は、中世では「狩り」を意味し、フランス王や貴族が狩りを好んでいたため、ジビエ料理は高貴な料理として食されてきました。
日本ではまだ馴染みのない料理ですが、ヨーロッパではとてもポピュラー。秋から冬にかけての狩猟解禁の時期にしか食べられないものです。冬に備えて栄養を蓄えたこの時期のものが最も美味しく、また、野生の鳥獣は余分な脂肪を蓄えていないためヘルシーフードとして人気もあります。野性味のある濃厚なジビエ料理には、こくのある赤ワインを合わせるとよりいっそう美味しくなります。代表的なところでは、コート・ロティ、シャトー・ヌフ・デュ・パプ、サン・テミリオンなどです。



ユダヤ人の朝食パン


最近、ベーグルパンが話題になっています。ベーグルは油やバター、卵を使わないで作られたとてもヘルシーなパンです。普通のパンと違い、生地を一度熱湯に通してからオーブンで焼いてあるので、独特のモチモチっとした噛みごたえがあるのが特徴です。ベーグルは「ユダヤ人の伝統的な朝食パン」で、ドーナツのようなリング状の形ですが、もともと馬の「あぶみ」を型どったものです。
1683年、ウィーン。オーストリアのユダヤ人のパン職人が、ポーランド国王がトルコの侵略者から守ってくれた感謝の印として、乗馬好きの王のために馬の「あぶみ」を型どったパンを作ったのが最初だといわれています。彼らの母国語であるインデッシュ語で、あぶみを意味する「beugel」から名付けられました。
その後、ヨーロッパでのユダヤ人に対する迫害を逃れて、多くのユダヤ人とともにアメリカに渡ったようです。そして十数年前からニューヨ−クを中心にブームとなり、今では全米で大人気となっています。



肉じゃがと海軍料理


家庭料理の代表格である「肉じゃが」のルーツは、海軍料理だと言われています。日露戦争の日本海海戦で、無敵のバルチック艦隊を破り、世界でその名を知られた東郷平八郎。彼がイギリスに留学した時に食べたビーフシチューの味が忘れられず、部下に命じて作らせたのが、肉じゃがの始まりだそうです。 当時、ワインやバターなどの材料が調達できなかったため、代わりに醤油、砂糖、胡麻油で味付けしたものです。出来上がったものは、ビーフシチューにはほど遠いものでしたが、肉じゃがは栄養バランスがよく、調理が簡単なことから、長い航海でビタミン不足に悩まされていた海軍兵士たちの艦内食として広まりました。 当時、ビタミン不足から脚気を患う兵士が多かったため、食事に野菜や肉を多く取り入れることで、兵士の健康改善がはかられたのです。ちなみに、肉じゃがの最も古いレシピは、海上経理学校の「海軍厨業管理教科書」の中に、[甘煮」として記載されています。

(参照)凡海郷のHP



韓国料理 五味五色


韓国料理というと「辛い」というイメージが強いのですが、実は野菜をたくさん使った料理が多く、とてもヘルシーな料理です。韓国料理は『陰陽五行説』に基づいた『五味五色』が基本といわれています。「辛味・苦味・甘味・酸味・塩味」の「五味」と「白・黄・青・赤・黒」の「五色」を大事にした料理です。料理の中に五色の食材があるということは、素材がバラエティに富んでおり、栄養のバランスがよく、目でも楽しませてくれます。料理の仕上は五味のバランスを考えながら、唐辛子・ニンニク・ゴマ・ゴマ油・砂糖・味噌・醤油・ネギ・胡椒などのヤンニョムで味付けされます。ヤンニョムは調味料や香辛料、またそれらを混ぜ合わせたものの総称で、どれも薬効のあるものばかり。ヤンニョムには決まったレシビはなく、調合の仕方はそれぞれの家庭のオリジナルです。ヤンニョムは「オモニ(おかあさん)の味」なんです。



韓国の屋台料理『トッポッキ』


韓流ブームに乗って韓国料理も人気が高まっています。冬ソナで、ヨン様演じるチュンサンが好きだった『トッポッキ』の紹介です。トッポッキは直径1センチほどの細長い棒状の韓国餅トックと野菜などをコチジャン(唐辛子味噌)で甘辛く煮込んだもので、韓国屋台(ポジャンマッチャ)の定番料理です。韓国の人にとって、トッポッキはおやつ代わりで、下校途中や仕事帰りに小腹が空いた時によく食べられるようです。特に若い女性に人気。韓国の餅(トック)は「もち米」でなく、「うるち米」からできたもので、日本のお餅のように伸びたり煮込んでもどろどろになりにくく、 もちもちとした食感に特徴があります。最近、大型スーパーでもトックを見かけるようになりました。鍋料理やスキヤキ、お汁粉などに入れても美味しいかと思います。

(参照)韓国総合情報サイト『コネスト』 



「てっさ」「てっちり」の語源


河豚ちり鍋のことを『てっちり』といいますが、どんな語源があるかご存知でしょうか?てっちりの『てつ』は鉄砲の鉄からきています。河豚には毒があり「当たったら死ぬ」ことから、河豚のことを『鉄砲』と呼んでいました。これは河豚の食用が禁じられた頃、関西で使われていた隠語で、その当時、大きな声で「今日は、寒いから河豚鍋でも食べようか」とはいえなかったようです。つまり、「てっちり」というのは「鉄砲ちり鍋」のことで、「てっさ」は「鉄砲の刺し身」を略したものです。
豊臣秀吉の朝鮮出兵のおり、兵士たちが河豚に当たって命を落とす者が続出しました。それを聞いた秀吉はその食用を禁じました。これが日本における最初の河豚の食用禁止の始まりです。江戸時代、武士は中毒死すると家禄没収の厳罰が下りたそうですが、一茶や芭蕉が河豚を詠んだり、落語のネタや浮世絵の画材にされたように禁令をくぐって広く食用されたようです。河豚の食用を解禁したのは伊藤博文です。下関の料亭春帆楼を訪れた際、時化(しけ)のためお出しする魚がなかったため、禁令を承知の上で河豚を出したところが、博文公はこんな美味しいものを禁止するのはおかしいということで解禁になったそうです。



中国風の精進料理 『普茶料理』


普茶料理は中国風の精進料理で、京都の宇治に、黄檗宗の萬福寺を開いた隠元禅師が伝えたものです。普茶とは「あまねく茶をほどこす」の意味で、料理を仲立ちとして親睦を深め、その日の労をねぎらう意味があります。黄檗宗では、寺の行事や法要の後茶礼の儀式と謝茶と呼ばれる会食があります。そこで出される料理が普茶料理です。親睦をはかることが目的なので、上下の隔てなく、四人一組で円卓を囲み、大皿に盛られた料理を直箸で自由に取って食べます。この食事の形は個々の膳で、身分の順に並んで食ベていた日本の習慣に新風をあたえたようです。
料理の特徴は生物の材料は一切使わず、豆腐とゴマ油を多量に使って旬の野菜などの食材を料理したものです。 また、見た目
にもこだわりがあり、精進物を使って肉・魚・鳥の”もどき料理”があるのも特徴です。たとえば、一見「鰻の蒲焼」だが、実は材料は豆腐。よくすって味つけをした豆腐をのりの上にのせて油で揚げたもの。食べる人を驚かせ、喜んでほしいという思いから考案されたようです。

(参照)黄檗山萬福寺のHP



豆腐を奴に切る


冷奴が美味しい季節です!!冷奴の「奴」とはどういう意味があるかご存知でしょうか?
奴は江戸時代の武家に仕えていた下男(使用人)のことで、大名行列の先頭に立って槍をふり歩いているあの「奴さん」(槍持ち奴)のことです。奴さんは奴凧でも知られています。奴さんの衣装の紋所は四角い形(釘抜紋)でした。そこから、冷たい豆腐を奴さんの紋のように四角く切った料理が冷奴と呼ばれるようになったようです。
冷奴の奴は豆腐の切り方の名称で、大き目の立方体に切ることを『奴に切る』(3cm角)といいます。ほかにも豆腐の切り方には呼び方があります。「奴」より、もう少し小さい切り方を「さいの目」(1cm角)、さらに小さいのを「あられ」(5mm角)。また、小さい短冊に切るのを「はちはい」、色紙型にうすく切ったものを「おつゆ」と呼ばれています。

(参考)ネスレveveyのHP    お茶街道のHP



祇園祭に欠かせない鱧料理


京都の夏といえば鱧料理。京都の祇園祭は「鱧祭り」とも言われるほど、鱧は京料理に欠かせない食材です。鱧は梅雨の水を飲 んで旨くなると言われており、梅雨が明けるころが旬で、その時期が祇園祭と重なるため、祭りに鱧をご馳走する習慣が生まれました 。なぜ、京都で鱧が珍重されたのか?それは生命力が強くて生きたまま京都で売られる貴重な魚だったからです。冷凍技術が発達していない時代に、瀬戸内海から生きたまま運び込むことができる鱧は、海の無い内陸の京都で珍重されたのです。その生命力の強 さにあやかり京都では古くから食されています。ただ、難点は、体中に小骨が多くて硬いためそのままでは煮ても焼いても食べられません。そこで京都の料理人は『骨切り』という料理技術を生み出しました。骨切りは約3cmに24回包丁を細かく入れ、しかも皮を切りません。この骨切りを丁寧にしたものは、熱湯に通すと反り返って白い花のように開きます。鱧が関西以外で食されなかったのは、骨切りの技術を持たなかったことと、近郊で新鮮な魚が豊富に手に入ったため鱧に固執する必要がなかったからのようです。



メロンパンのルーツは海の向こう


マスコミで紹介されて大人気のメロンパン。パン生地にクッキーの生地をのせて表面に格子状の模様をつけて焼いたパンです。その由来については色々な説あります。
1) 昭和5年、東京の『木村屋』の三代川菊次さんがパンの実用新案登録しています。現在のメロンパンによく似ていることからこれをルーツとする説。
2) 帝国ホテルの元ロシアの宮廷料理人イワン・サゴヤンが作ったフランスの『ガレット』というパンが、現在のメロンパンそっくりでこれが一般に普及したという説。(明治44年〜昭和2年)
3) オーストリアのパン菓子『カプティナロール』が日本に伝わって変化したという説。クッキー生地がモカ味からレモン風味に変りメロンの模様をつけたというもの。その製法はメロンパンと同じで、パン生地にクッキー生地をのせてつくられているそうです。いろいろ調べてみるとメロンパンのルーツは海の向こう、海外にルーツがあるように思えてなりません。みなさんはどう思いますか。



そば粉を使ったクレープ「ガレット」


そばというと日本のものというイメージがありますが、実は世界中で愛されている食べ物なのです。日本のように麺にして食べる国は珍しく、むき実をお粥にしたりそば粉をパンやクレープにして食べている国が多いようです。フランス北西部のブルターニュ地方の郷土料理にそば粉を使ったクレープ「ガレット」があります。ガレットはそば粉と水と塩を合わせたものを薄焼きした生地の上に、卵やハム、チーズ、きのこ等を包んだものです。この地方は土地がやせていて小麦がとれませんでした。そばはやせた土地でも育つ作物であったため、ブルターニューでは何世紀もの間、そば粉のクレープ「ガレット」が主食だったのです。クレープというとはフルーツやクリームを挟みこんだ甘いデザートというイメージが強いですが、最初は実は甘くなかったのです。デザートとしてクレープが出来たのは後のことです。今でもブルターニュ地方ではシードル(リンゴの発泡酒)とともに日常的に軽食として食べられています。

(参考)カフェ クレープリー ル ブルターニュのHP



ザッハトルテの「甘い7年戦争」


ウィーンの老舗ホテル・ザッハーといえば、ザッハトルテ発祥の地として有名です。アプリコットジャムをチョコケーキの間に挟んで、チョコでコーティングされたケーキで、甘くないホイップクリームを添えて出されています。
1814年ウィーン会議のおり、オーストリア宰相メッテルニヒ公がフランツ・ザッハーに 「今まで誰も食べた事のないもの」と命じ作られたものです。当時、薬として使われていた高価なチョコと砂糖をたくさん使った贅沢なお菓子で、そのあまりのおいしさにレシビを門外不出としたそうです。1876年ザッハーはホテルを開業してザッハトルテを専売していました。その後、ザッハーとウィーンの有名菓子店デメルとの間で婚姻縁組があり、極秘だったレシビが伝わりデメルでも売り出されたことから、双方の間でオリジナル権をめぐる長い裁判(甘い七年戦争)がおきました。結局、ザッハーが勝利したのですが、現在ではホテル・ザッハーとデメルは人気を二分しているそうです。ウィーンに行く機会があったらぜひ食べ比べてみたいですね。

(参考)ホテルザッハーのHP   デメル・ジャパンのHP



明日香地方の郷土料理『飛鳥鍋』


牛乳を使った料理といえば西洋料理のイメージが強いのですが、日本にも昔から奈良に『飛鳥鍋』という牛乳鍋があります。飛鳥鍋は奈良県明日香(飛鳥)地方に伝わる郷土料理で、牛乳を加えただし汁と白味噌で具を煮た料理です。具は鶏肉がメインで他にいろいろな野菜が入ります。和と洋がミックスした不思議な印象がありますが、意外なほど牛乳の臭みがなくまろやかでコクのある味わいなので病みつきになる人も多いそうです。
今から約1300年前に飛鳥に伝わったといわれる乳製品は奈良時代から食され、貴族階級の間では不老長寿に効き目があるとして牛乳を飲む風習広まっていたようです。その後、妙楽寺という寺の僧たちが鶏肉の牛乳煮を思いついたのが始まりだとか。*牛乳と味噌 「ゲッ!」って思ったのですが、全く牛乳臭ささがなくてお薦め!

(参考)万葉ものがたりのHP



クグロフとマリー・アントワネット


1789年10月5日のヴェルサイユ行進の時に、パンを求めて来た民衆に対して、フランス王妃マりー・アントワネットが『パンがなければケーキを食べればいいのに』と言って民衆の反感をかったというのは有名な逸話です。このケーキというのが『クグロフ』のことだったといわれています。この有名な言葉自体、彼女が言ったかどうか真偽の程は定かではありませんが、マりー・アントワネットがクグロフを好んだことから、18世紀ヨーロッパで大流行したというのは事実のようです。
クグロフはアルザス地方の代表的なお菓子で、レーズン入りのイースト菓子のこと。帽子をふせたような形で、ソフトクリームのようなひだの入った陶器の型を使って焼いたお菓子です。アルザス地方では日曜日の朝食によく出され、アルザスのワインとよく合うといわれています。クグロフの陶器の型は調理器具としてだけでなく、装飾用としてお菓子屋さんや家の壁によく飾られているそうです。

(参考)ユーロセレクションのHP



ピザとイタリアパン『フォカッチャ』


ピザの発祥といえば、イタリアのナポリといわれていますが、その原型はイタリアの南部に住んでいたエトルリア人の丸パンにあります。初めの頃は、料理を乗せるための皿として使われていましたが、空腹のあまり皿まで食べてしまったことが、「ピザ」の始まりとされています。この「丸パン」は、後に「フォカッチャ」と呼ばれ、ピザ生地として使われるようになります。フォカッチャはイタリア語で『火で焼いたもの』という意味で、小麦粉にイースト、塩、オリーブオイルを混ぜて発酵させて焼いたものでした。その後、トマトが伝わり、いろいろな材料が加えられて、現在のようなピザに発展したようです。
ナポリ名物のピザといえば『マルゲリータ』。そのピザの誕生には1人の王妃が深く関わっています。1889年6月、ナポリを訪れた当時のイタリア国王と王妃のために、ピザ職人エスポジトが創作したものです。トマトソース、モッツァレラチーズ、バジルで、イタリアの国旗の赤・白・緑を表したもので女王の名をとって「マルゲリータ」と名付けられたのだとか。





鹿児島名物『かるかん』

自然薯(山芋)といえば、「とろろご飯」・「とろろ蕎麦」・「山かけ」などに使われる「とろろいも」というイメージが強いですが、和菓子の材料にも使われていることご存知でしょうか。鹿児島県の代表的な和菓子『かるかん』がそれです。山芋・米粉・砂糖を混ぜて蒸したもので、淡雪のように真っ白でしっとりとやわらかくまろやかな甘さは一度食べたら忘れられない味です。形は羊羹のような直方体ですが、実際鹿児島では「かるかん饅頭」として中にあんこが入ったものが人気のようです。漢字では『軽羹』と書き、軽い羊羹という意味。
かるかんの起源は安政元年(1854年)、薩摩藩主:島津斉彬が江戸の菓子職人:八島六兵衛(明石出身)を薩摩に連れ帰り新しく考案させて出来たものだといわれています。婚礼・年始・賀儀などの祝いの席に用いられた地位の高いお菓子であったようです。ちなみに八島六兵衛は、鹿児島で「明石屋」の店を開き現在にいたっています。

(参照)赤石屋のHP



マクロビオティック料理


マクロビオティック料理を取り入れたレストラン、カフェが巷で話題になっています。マクロビオティックとは、無農薬の野菜・穀物を中心とした食事で、動物性のもの(肉、玉子、乳製品)と砂糖を使わない料理です。野菜はその土地の旬のもの、調味料は天然素材のものを使います。工場生産の白砂糖は使わず、果物の甘味やメイプルシロップから甘味をとるそうです。ダイエットにもなり、おしゃれなお店が多く人気がでているようです。
マクロビオテイックは、ギリシヤ語で「大いなる生命」という意味。紀元前5世紀、西洋医学の父『ヒポクラテス』が提唱したもので、20世紀になって故桜沢如一によって『マクロビオティック』の名前で紹介されたものです。最近ではスーパーモデルやハリウッドスターなども注目。リッツカールトンホテルでも1955年からメニューに取り入れているとか。

(参照)日本CI協会のHP



ちらし寿司の由来


ちらし寿司の発祥の地は、岡山県といわれています。江戸時代の初め、備前藩主の池田光政が贅沢を戒めるために、「食膳は一汁一菜とする」というおふれを出しました。庶民たちはこれに反発して、役人の目をごまかすためにすし飯の下にさまざまな具を隠して、こっそり味わっていたのが始まりだと言われています。食べる時には、重箱をひっくり返して食べたのだとか。その後、この寿司はどんどん豪華になり、「すし一升、金一両」といわれるほど贅沢な寿司を作らせた商人まで現れるようになったようです。贅沢を戒めるためのおふれが、かえって贅沢な寿司を生んでしまったというのはとても面白ですね。ちなみに、関西のちらし寿司は「ばらずし」、関東では「五目すし」と言われております。



ハーメルンの名物料理「ねずみのしっぽ料理」


ハーメルンといえば、グリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」の舞台。この話はネズミを退治したら大金を払うと約束したにも関わらず反故にされたため、笛ふき男はネズミを退治したときと同じように笛を吹いて、町中の子供たちを引き連れ消えてしまったという話です。この話が、実際に起きた事件を元に作られたということをご存知でしょうか。
1284年6月26日、ハーメルンから130人の子供が突然行方不明になってしまったという教会の記録が残っています。東方への集団移民、子供十字軍、6月26日のヨハネ・パウロ祭での事故などいろいろな説がありますが、その原因については現在も謎のままだとか。当時、ドイツではねずみの被害に困り果てており、実際にねずみ捕りという職業が存在していたので、それと重ねあわせてこのような物語が生まれたようです。ちなみに、ハーメルンの名物料理は、豚の細切り肉をねずみのしっぽに見立てた料理で「ねずみのしっぽ料理」と呼ばれています。

(参照)ダニエルのブログ



トムヤンクン


タイ料理といえば、『トムヤムクン』が有名ですね。世界三大スープの1つで、辛くて酸っぱい海老スープです。スープの中身は、エビ、ふくろだけ(タイのきのこ)で、スープの香りづけに、レモングラス(酸味)、こぶみかんの葉(香り)、タイ生姜、唐辛子などのハープやスパイスが使われ、がん予防効果があることが科学的に証明されました。
トムヤムクンという料理名は、「トム」・「ヤム」・「クン」という三つの単語からなっています。トムは煮る、ヤムは和える、クンは海老という意味で、海老をハーブやスパイスで和えて煮たスープのことです。ちなみに、海老の代わりに別の食材を入れると料理名も変わります。鶏肉を入れると『トムヤムガイ』。豚肉は『トムヤムムー』、牛肉は『トムヤムヌァ』、蟹では『トムヤムプー』になります。



松花堂弁当の由来


花見といえば松花堂弁当。箱を4つほどにしきり、その仕切った箱の中に、ご飯、煮物、焼き物、お刺身、揚げ物などを彩りよく詰められた目にも華やかなお弁当のことです。松花堂弁当の松花堂は人の名前です。江戸初期、石清水八幡宮(京都市)の僧侶で、”松花堂昭乗”とい方で、書画の才能にすぐれ、茶の道にも通じていました。彼が煙草盆や絵の具箱として愛用していたのが四つ切りの四角い器で、農家の種入れを参考に工夫して作ったものです。この器には昭乗の描いた水仙・柳などの木や花が描かれていました。昭和のはじめ、かの有名な「吉兆」の創業者湯木貞一さんがある茶会に招かれたおり、昭乗の愛用した器が煙草盆として出されました。湯木さんはこの器にヒントを得て、これに料理を盛り付けて売り出したのが「松花堂弁当」の始まりです。

(参考)吉兆のHP



シーザーサラダの由来


最近話題になっているシーザーサラダは、メキシコのホテル「シーザーズ・パレス」で生まれました。レタス、ベーコン、クルトンをシーザードレッシングで和えたものです。ドレッシングには、卵黄、アンチョビー、パルメザンチーズ、ガーリックオイルなどが使われています。
アメリカに禁酒法があった時代、酒を飲みたいアメリカ人は合法で飲めるメキシコ、ティファナという町まで足を運んだようです。1924年7月14日、シーザーズ・パレスの厨房では食材が足らなくなってしまい、オーナーであるシーザース・カルディーニがありあわせの材料でサラダを作りその場をしのいだのが始まりです。そのサラダの評判はアメリカ、ヨーロッパに広まり、現在では、世界中で人気になっています。日本には、1949年、帝国ホテルで行われたGHQのクリスマスパーティーが始まりです。現在では、帝国ホテルの名物料理の1つとなっています。



ピンチョスというスペイン料理


今、巷では「ピンチョス」というスペイン料理が人気になっていますがご存知でしょうか?
ピンチョスはスペインのバスク地方の港町で生まれたおつまみ。もともとの意味は、スペイン語で「串で刺す」という意味だったようです。今では串に刺したものだけでなく、薄切りのバゲット・野菜に具を載せたカナッペ風のもの、小さなタルトに具を詰めたものなどいろいろな種類があります。気軽に手でつまめる1口サイズのおつまみ(フィンガーフード)で、1個170〜250円ほど。彩りもきれいで見ためもお洒落で庶民的なので人気があるようです。 (東京:発祥店『ピンチョス・ベポ』)同じ料理でも串に刺したり、パンや野菜にのせたりするだけでお洒落な料理に。とても簡単なので、お家でピンチョスパーティーなんていうのもいいかもしれませんね。



雑煮の由来


雑煮はお正月料理に欠かすことが出来ませんが、本来は大晦日の夜にお供えした餅や農産物などを一つの鍋で一緒に煮た料理のことです。室町時代、正月の祝膳として作られた料理に由来するそうです。
雑煮の古名を烹雑(ほうぞう)といい、いろいろなものを煮るという意味です。「烹」の字は「煮」と同じであるから雑煮になったそうです。また、 臓腑(内臓)を保護するという意味の「臓煮」が転じたとする説もあります。
雑煮は地域、家々によって色々な料理法があります。だしや具ひとつとってみても、実に様々です。 関東では四角い餅を入れたすまし仕立て、関西は丸い餅を入れた味噌仕立てが一般的ですが、あんこ餅を入れたり、醤油だしを使うところもあるとか。具材も鶏肉、鰤、鮭、里芋、にんじんなど多彩です。みなさんは元旦に、どんな雑煮を食べられるのでしょうか?

(参考)るるぶ.COMのHP



豆腐は「豆が腐ったもの」?


「豆腐」の名前の付け方が変だと思っている人が多いのではないでしょうか。豆を腐らせて(発酵させて)作るわけでもないのに「豆が 腐ったもの」なのです。
豆腐の起源は、中国の唐時代、騎馬民族から伝わった「乳腐」というヨーグルトのような食べ物を模して作らせたのが始まりといわれ ています。そのころ中国では牧畜が盛んでなかったため、原料の乳に不自由しました。そこで乳の代わりに大豆を用いられて作られた のが豆腐だったのです。つまり、豆腐は乳腐の代用品だったのです。
中国では「腐」の文字には、腐るという意味はなく「柔らかく弾力のあるもの」を意味する言葉であったようです。「腐」という漢字のも との形は「府」の部分が「庫」で、庫(くら)の中に肉が入っていることをあらわしたものです。殺した肉は、死後硬直で固くて食べられな いので、庫に入れて柔らかくなるなるのを待って食べたそうです。それが、肉だけでなく、柔らかく弾力のあるものを広く意味するようにな ったようです。



生そばと二八そば


そば屋の暖簾などに「生そぼ」という文字を見かけることがあります。これは「きそば」と読みますが、どうゆう意味かご存知ですか?これ は本来、つなきを使わないそば粉だけで打ったそばのことを指していました。江戸初期のそばは、そば粉100%でしたが、江戸時代 中頃から、舌触りのいいそばを作るため、小麦粉などを混ぜるようになりました。今も残っている「二八そば」という呼び名は、小麦粉と そば粉の比率が2対8を表しています。しかし、小麦粉の量が徐々に増えていき、「二八そば」が粗悪なそばの代名詞になったために 、高級店などが違いをアピールするために「生そば」を看板に掲げるようになったようです。ところが、幕末頃になると、「二八そば」まで もが「生そば」と名乗るようになったため、その区別が なくなったようです。現在では、「生そば」と暖簾に書かれているのは、そのなごり であってそば粉100%の意味ではありません。



シャーベットとメディチ家


イタリアでは長い間、シャーベットの製法は貴族だけの秘密でしたが、1533年フイレンツェの大富豪メディチ家のカトリーヌがフランス
王アンリ2世に嫁いだときに、その製法がフランスに伝えられました。婚礼の宴では、メディチ家の料理人たちによりイタリアの豪華な料 理がサービスされました。なかでも、木いちご・オレンジ・レモン・イチジク・レーズンなどのドライフルーツ、アーモンドやピスタチオなどのナッ
ツを使ったシャーベットの素晴らしさにフランス貴族たちは驚嘆したそうです。祝宴に利用した氷はノルウェーのフィヨルドから海路パリに 運ばれたというから驚きです。ちなみに、天然の氷を利用しないシャーベットが作られるようになったのは、16世紀の中頃、イタリアの 大学教授マルク・アントニウス・ジマラが、氷に硝石をまぜてものを短時間に冷やす方法を発明して飲み物を凍らせることに成功した ことによります。



秋の七草(葛)を使用した和菓子


「葛饅頭・葛きり」は暑い季節にぴったりな和菓子です。葛の根から採れるでんぷん(葛粉)を原料としています。葛の語源は奈良県吉野郡の国栖(くず)に住んでいた国栖人と呼ばれる人々にあると言われています。この人たちは、応神天皇の時代に帰化した異民族で、葛からでんぷんを採り食用にしたり、里に出て行って売ることがあったのでその名がついたそうです。また、つるを利用して繊維(葛布)を織ったり、根を乾燥して風邪薬(葛根湯)に用いられ、古くから有用植物として重宝されてきたようです。葛が和菓子の歴史に登場するのは、鎌倉・室町時代、宋に留学した僧が日本に点心を伝えたことに始まります。その材料のひとつとして使われ、葛まんじゅうや葛きりの原形が作られたとされています。葛の花は秋の七草の一つに数えられ、詩歌にも多く詠まれてきました。

(参照)万葉集



名古屋名物”ひつまぶし”


名古屋でうなぎ料理と言えば、”ひつまぶし”(櫃まぶし)です。櫃に入ったご飯に、幅1.2cmに刻まれたうなぎの蒲焼をのせたものです。お櫃の中で、まぶして(混ぜて)いただくので、”ひつまぶし”と呼ばれているようです。見た目はうな丼とあまり変わりませんが、ひつまぶしには独特の食べ方があります。
  一膳目:うなぎのそのままの味を
  二膳目:薬味(あさつき、海苔)のせて
  三膳目:薬味とおだしをかけて(うな茶漬け)
1度に、3通りの味を楽しむことができます。(うな丼、うなぎ混ぜご飯、うな茶漬け)。うなぎにお茶漬けなんてと思われるかもしれませんが、さっぱりしていてとても美味しいです。ひつまぶしは家庭でも手軽に楽しめますので、一度ぜひ、お楽しみください。



クロワッサンとトルコ軍


クロワッサンはフランスのパンとして有名ですが、その起源はオーストリアのウイーンにあるといわれています。
1683年、オーストリアの都ウイーンはトルコ軍に包囲されていましたが、城壁に囲まれていたため中々落城しませんでした。そこで、トルコ軍はトンネルを掘って、市内に攻め込もうとしました。ところが、朝の早いパン屋さんに気づかれ失敗したそうです。このパン屋には、トルコ軍の旗印の三日月の形のパンを作ることが許され、「トルコ軍を食べる」という洒落が受けてか大いに儲けたそうです。このパンがクロワッサンの原型です。その後、ルイ16世に嫁いだマリー・アントワネットがフランスに伝えたといわれています。その当時のクロワッサンは、現在のような生地が層をなしたものではなかったようです。その後、手が加えられ現在のクロワッサンになったということです。クロワッサンはフランス語で、月という意味があります。

(参照)トルコの観光・伝統文化の総合サイトのHP



鵜匠は国家公務員


岐阜県の長良川では毎年5/11〜10/15の間、鵜飼が行われます。長良川の鵜飼の歴史は古く1300年ほど前から行われ、「日本書記」にも記載されています。
元々、奈良時代に中国から伝わったもので、漁師が鵜を使って魚をとる漁法です。鮎が篝火の明かりに集まったところを鵜匠のたくみな手縄さばきで鵜を操り、鮎を捕らえる原始的なものです。この漁法が今日まで続けられたのは、時の権力者に手厚く保護されたためだといわれています。織田信長は、漁師たちに「鵜匠」の称号を、また、徳川家康は、川の様々な権限を鵜匠に与えました。しかし、明治維新後は特別な保護もなくなり、古代漁法として伝承されてきた鵜飼は消滅の危機に瀕しました。その後、明治23年に皇室の御狩猟場になり、宮内省は鵜匠に職員の身分 ”宮内庁式部職” を与えました。つまり、鵜匠は国家公務員なのです。現在、6人の鵜匠たちによって伝統の技が守られ、毎年数回、皇室に鮎を献上しているそうです。

(参考)岐阜市のHP



端午の節句と柏


5月5日は端午の節句。端午の節句の食べ物としては、柏餅やちまきを思い浮かべます。端午の節句に柏餅が登場するのは、江戸時代(1661〜1673)に入ってからだといわれています。柏の葉は新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があり、家系が途絶えない縁起のよい葉っぱと考えられ、端午の節句に盛んに使われるようになりました。現代では”家を継ぐ”という意識はかなり薄れていますが、その時代、男が家系を継ぐ使命を持っていたので、武家社会を中心に縁起をかついて柏餅を食べたようです。
「かしわ」という名前は、「炊葉(かしきば)」に由来するとも言われています。柏の葉は古代人の食器として、また、食物を包んで蒸す道具として使われていました。食物を包んだり覆ったりした葉は総称して「炊葉」と呼ばれていたようです。ちなみに、柏の葉が少ない西日本では、柏餅に山帰来(さんきらい)が使われているそうです。



日本人シェフのお店がミッシェランの一つ星に


グルメに関する雑誌などが多数出版されていますが、中でもフランスのミシュランのレッドガイドシリーズは世界的に有名です。レストランは星の数によって格付けされています。一つ星は、大変おいしい料理。二つ星は、寄り道してでも食べる価値あり。三ツ星は、料理・サービス・雰囲気において超一流と格付けされています。
2002年度版のガイドで日本人シェフが経営する『ひらまつサンルイ アンリル』が一つ星を獲得したそうです。昨年10月にオープンしてわずか4ヶ月で獲得されたことにはびっくりさせられます。日本人のオーナーシェフがこれに選ばれたのは1900年に創刊されて以来始めてのことだそうです。セーヌ川の中州のサンルイ島にお店はあります。パリに行くときの情報の一つに加えられてはいかがでしょうか?このお店は東京・福岡市で高級フランス料理店を経営する平松宏之さんのフランスのお店です。

(参照)『レストランひらまつ』のHP



フランス料理の起源


クリスマスが近づきフランス料理などを予約なさっている方も多いと思いますが、フランス料理はイタリアの大富豪メディチ家との縁組によって発展したものです。1533年フイレンツェの大富豪メディチ家のカトリーヌがフランス王アンリ2世に嫁いだときに、花嫁道具として、数人の腕のよい料理人を連れて行き、同時に、多くの香辛料、それまでにフランスになかったフォークを持参しました。この婚姻により、フランス宮廷の食事のマナーの改革、さまざまなスパイスを使った料理、シャーベットなどのデザートなど最先端の料理技術がフランスに伝えられました。その後、現在のフルコースの原型が出来上がるのは、ルイ14世(在位1643〜1715年)の時代です。フランス絶対王制の最盛期でベルサイユ宮殿で贅をつくした生活をしていたころです。そしてフランス革命(1789年)で、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの処刑によって革命が終わると、貴族たちに雇われていた多くの腕の良いシェフが職を失い、街にレストランを開きました。こうして貴族のフランス料理が一般市民の中に広がってゆくことになります。



カルパッチョは病人食


イタリア料理の前菜「カルパッチョ」は、よく雑誌で紹介されています。薄切りにした生肉の上に、オリーブオイル、レモン汁、塩、胡椒で味付けし、ルコッラとパルメザンチーズなどをのせたものです。簡単にいえばイタリア風の刺し身のことです。このカルッパッチョは、1950年イタリアのベネチアの有名なレストラン”ハーリーズ・バー”で生まれました。お医者さまから加熱した肉を禁じられた常連客の伯爵夫人のために考えだされた特別料理です。オーナーは、薄切りにした牛肉にマヨネーズソースを網目状にかけた料理を作ったのが始まりです。
料理の名は、ベネチア出身のルネッサンス期の画家ヴィトーレ・カルパッチョにちなんだものです。彼の画風は赤と白の色使いが美しかったからのようです。その後、カルパッチョは、牛肉に限らず「薄く切った生もの」を意味する料理名へと変化していきます。ソースもいろいろアレンジされるようになり、食材とソースの組み合わせだけで実にさまざまなカルッパッチョが楽しめます。家庭でも簡単にできる上、見た目もとても豪華な料理なので人気があります。

(参考)Arts at DorianのHP



「ういろう」は固有名詞


最高裁の判決で、「ういろう」(外郎)は固有名詞でなく普通名詞であると確定されました。CMなどにより、名古屋だけの名物と思っていましたが違っていたようです。山口、小田原でも名物となっています。
外郎は、中国の官職名に由来しています。今から約600年前、足利義満(室町時代)の時代に、元の礼部員外郎の職にあった陳宗敬(ちんそうけい)が日本に亡命し、「透頂香」(とうちんこう)という秘薬を日本に伝えました。日本では「外郎薬」と呼ばれていました。この薬が苦かったため、禁裏に献上する祭に、口直しとして添えたのが、黒砂糖と米粉で作った菓子「外郎」だったといいます。また、「外郎」の色、形が、この薬に似ていたからという説もあります。その後、陳の子孫は姓を外郎に改め、小田原に移り住んで、薬とお菓子を扱っていました。そのお菓子が、山口、名古屋に伝わった「ういろう」のルーツです。
最高裁の判決では、もはや、「ういろう」は特定の店のものではなく、菓子の一種を示すものだと判断されました。

(参照)ういろうのHP 



赤飯の由来


古代米というものをご存知でしょうか?赤米、黒米などの古代米は、稲の原種である野生稲の特徴を受けついている米のことです。ミネラルやビタミンを豊富に含む健康食品として注目を集めています。赤米は、日本のお米のルーツとされ、赤飯の起源といわれています。縄文時代、日本に初めて伝わった米は、赤米で、邪馬台国や大和朝廷の献上米も赤米だったといわれています。古代人は赤米を神様にお供えしたり、お祝いごとのある時に食べていたようです。そのご飯の色が赤い色をしていたので赤飯の名がついたようです。次第に赤米は栽培されなくなり、赤米の変わりに小豆で色をつけた赤飯をお供えするようになったのです。黒米も古くからお祝いの米として珍重され、おはぎの起源といわれています。中国の「本草網目」には黒米は滋養強壮に優れ造血作用があると書かれております。薬膳料理にも古くから使われてきました。別名薬米といわれています。新米のおいしい季節ですね。旬のきのこ、栗、根菜などといっしょに古代米もその中にいれられてはいかが・・・・栄養もUPします。
(米3合に、古代米は30gが目安です)

(参照)新津軽八景のHP



煮魚の煮こごりは体にいい


煮魚の煮汁が冷えるとゼリーのように固まった”煮こごり”になります。これはコラーゲンが主成分で、老化防止に不可欠なものです。コラーゲンはたんぱく質の一種で、体を構成するたんぱく質の1/3以上を占めています。特に皮膚の真皮では70%がコラーゲンだといわれていいます。
17才ころから、体の中でコラーゲンをつくる機能が低下して、コラーゲンは年齢とともに減少してきます。コラーゲンが減少してくると皮膚のたるみ、しわ、関節の痛み、抜け毛となど、老化となって表面に表れてきます。コラーゲンが老化の原因の一つといえます。コラーゲンをとることで、コラーゲンをつくる機能が活発になり老化を最小限に食い止められることが動物実験などでよって明らかになっています。
コラーゲンの豊富な食品は、すじ肉、軟骨、豚足、スペアリブ、手羽先、魚の煮こごり、ふかひれ、ゼラチンなど、どちらかというと食べにくかったり、捨ててしまっている部分に多く含まれています。料理に工夫が必要ですね。コラーゲンを摂取するときに忘れてならないことは、必ずビタミンCを一緒にとることが大事です。



土用の丑の日にどうして鰻をたべるの


暑い日が続きますが、夏バテ解消には鰻を食べるとよいそうです。鰻についての歴史は古く、万葉集にも登場しているほどで、栄養価の高い食品として知られています。土用の丑の日に鰻を食べる習慣は江戸時代からです。由来には諸説あります。
エレキテルで有名な平賀源内が、商売不振のうなぎ屋から相談をうけて、「本日土用丑の日」と書いて店先に貼り出したところ、これが大繁盛して、その後、土用の丑の日に鰻を食べるようになったようです。また、土用に大量の蒲焼の注文を受けたうなぎ屋(春木屋)が、子の日、丑の日、寅の日の3日に分けて作って、土瓶に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った鰻だけが悪くなっていなかったからという説もあります。この説は「江戸買物案内」という書物の中で紹介されています。みなさんはどちらの説を選ばれますか?



懐石料理と会席料理の違い


懐石と会席の違いについてのお話です。懐石料理は禅宗と深く関係している茶の湯で、お茶を飲む前に出る簡単な料理のことです。「懐(ふところ)に石を抱く」。お坊さんたちは温めた石を懐に入れて寒さとひもじさをしのいでいました。温石で温める程度の軽い料理のことです。空腹では濃茶を楽しむことはできません。その前に軽い食事(懐石料理)をだしていました。懐石はお抹茶をいただくための料理のことで、料理店でお酒を飲みながらいただく料理ではありません。それは懐石ではなく、会席料理のことです。会席がお酒を飲むための料理であることは、最後にご飯、汁がだされることからでもわかります。逆に、懐石は最初にご飯、汁がだされます。
今日では、懐石を看板にしている料理店もありますが、本当の意味の懐石とは違います。茶道の高級イメージからか、高級な会席ほど懐石を使いたくなるようですね。

(参考)はた茶華道教室のHP



料理店の”盛り塩”の意味


料理店の店先に”盛り塩”が盛られているのをよく見かけます。これは、中国の故事に由来するもので、お客さんがたくさんきてくれるようにという「おまじない」です。昔の中国の皇帝は3000人ほどの側室を囲って、それぞれに大きな屋敷を与えていました。皇帝は夜ごと、牛車に乗ってそれらの側室の屋敷を訪ねていました。皇帝が順番に廻ったとしても、自分の番がくるにはかなりの日数がかかります。そこで、ある側室が一計を案じ、自宅の門前に塩を盛るようになりました。牛は塩が大好物なので盛り塩がある門前で、ピタリととまり動かなかったようです。皇帝は仕方なく、そのお宅に立ち寄ったようです。この故事から、来てほしい人を招き寄せるおまじないとして玄関に塩を盛るようになったわけです。




桜餅には関東風と関西風があります


桜餅は。あの独特の香りと餡との組みあわせが絶妙で、私の好きなものの一つです。
桜餅は大きく分けると関東風と関西風があります。関東風は小麦粉などで作った焼皮で餡を巻き、桜の葉で包んだもの。関西風は粗くひいた道明寺粉で作った餅の中に餡を入れ桜の葉で包んだものです。巻かれているサクラの葉はオオシマサクラという桜の葉で半年ほど塩漬けされたものです。桜餅を桜の葉ごと食べる方と桜の葉を取って食べる方がみえますがどちらが正式なのでしょうか?私は、桜の葉ごと食べるのですが・・・・・・

(参照)神々のふるさと 山陰のHP



温泉たまごの簡単な作り方

温泉たまごを家庭でどうやって作ってみえますか?温泉たまごは65〜70℃の温度で30分ほど加熱するとできるといわれています。しかし、温度計できちんと図りながらやっても鍋で温泉たまごを作ることは難しいいものです。また、温度計を使って料理をするのも理科の実験のようで味気ないものですね。今回はもっと簡単にできる方法を教えていただきましたのでご紹介いたします。カップラーメンの容器を2個重ねあわせます。その中に卵と沸騰した湯を入れ蓋をします。10〜15分ほど待てば出来上がりです。温泉たまごの好みの硬さにより保温時間を変えていただければよいと思います。本当に簡単にできるのでびっくりです。これで毎朝、美味しい温泉たまごが食べられます。


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