◇◇ 7月~9月 ◇◇

◇土用の丑の日にどうして鰻をたべるの ◇鰻の高騰
◇茄子一個一両 ◇栗の漢字は、西と木の組み合わせ
◇韓国で『相思華』と呼ばれる花 ◇花火のルーツ
◇無花果(イチジク)は花が咲きます ◇祇園祭に欠かせない鱧
◇秋の七草(葛)を使用した和菓子 ◇風鈴は魔除け
◇名古屋名物”ひつまぶし” ◇千利休と朝顔
◇鵜匠は国家公務員 ◇織姫と彦星
◇「玉やぁー、鍵やぁー」って何 ◇秋の七草のルーツ



鰻の高騰


今年は養殖に必要な稚魚(シラスウナギ)が不漁なため鰻の価格が上昇しています。
日本の鰻の99%が養殖。養殖は卵から育てる完全養殖でなく、海から日本の川に上がってくるシラスウナギを捕まえて大人まで 育てるものです。このシラスウナギが減っているのが値上がりの原因です。シラスウナギの仕入れ価格が今年は1kg当たり200万円ほど、昨年の3倍近くに上昇。そのため鰻の取引価格も上昇しているのです。シラスウナギの減少の理由は、はっきりとは分かって いませんが、エルニーニョ現象などによる海流の変化に加え、乱獲が原因ではないか言われています。
鰻は日本から南に2500kmも離れたグアム島付近で卵を産み、生まれてすぐに潮の流れに乗って日本へやってきます。日本の川や湖で暮らし大人になり、そして生まれた場所で卵を産むために、また海に帰っていきます。
現在の鰻の養殖は、シラスウナギの数により生産量が左右されます。そこで期待されるのは完全養殖。2年前に完全養殖に成 功していますが、まだ鰻の生態に不明な点か多いため、実用化のメドがだっていないそうです。



土用の丑の日にどうして鰻をたべるの


暑い日が続きますが、夏バテ解消には鰻を食べるとよいそうです。鰻についての歴史は古く、万葉集にも登場しているほどで、栄 養価の高い食品として知られています。土用の丑の日に鰻を食べる習慣は江戸時代からです。由来には諸説あります。
エレキテルで有名な平賀源内が、商売不振のうなぎ屋から相談をうけて、「本日土用丑の日」と書いて店先に貼り出したところ、これが大繁盛して、その後、土用の丑の日に鰻を食べるようになったようです。また、土用に大量の蒲焼の注文を受けたうなぎ屋 (春木屋)が、子の日、丑の日、寅の日の3日に分けて作って、土瓶に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った鰻だけが悪くなっていなかったからという説もあります。この説は「江戸買物案内」という書物の中で紹介されています。みなさんはどちらの説を選ばれますか?



栗の漢字は、西と木の組み合わせ


栗が美味しい季節になりましたね。栗は日本人にとって歴史の古い食べ物のひとつです。縄文時代の三内丸山遺跡から栗が発見されています。これらの栗は野生種でなく、栽培が行われていたというからびっくりです。また、持統天皇の時代には国家が栗の 栽培を奨励していたことが「日本書記」に記載があります。さらに、戦国時代には、栗を乾燥させた保存食の「かち栗」が勝利につながることから、武士の出陣の前に欠かせない縁起ものとされていました。おせち料理に、「きんとん」「甘栗」などの栗が使わるの は「かち栗」が由来だといわれています。
栗と人々との結びつきはきわめて深く、縄文時代以降、栗は食用としてだけでなく建築、土木、生活の道具の材料として広く活 用されてきました。三内丸山遺跡では、直径1mの木柱、漆器に栗材が使われていたことも確認されています。また、栗の漢字が「西」と「木」の組み合わせであることから西方浄土になぞらえて位牌などの仏具にも使われているそうです。行基菩薩も、西方浄土にゆかりがあるといって、一生杖にも柱にもこの木をお使いになられたそうです。堅く湿気に強いため、鉄道の枕木、家の土台にも使われています。

(参考)三内丸山遺跡のHP    IPA情報処理推進機構のHP



茄子一個一両


茄子がとても美味しい季節になりました。茄子は縁起がいいものとして知られています。
『一富士、二鷹、三茄子』とあるように、初夢で、富士、鷹、茄子の夢をみると大変縁起がいいとされています。どうして茄子が 登場するのか。疑問をもたれたことありませんか。
茄子の原産地はインド東部でもともと暑い国の野菜です。ハウス栽培の技術がなかった江戸時代、相当な労力と手間隙かけなければ冬に茄子を栽培することは難しかったようです。油紙を張った障子で苗をおおい、馬ふんなどの発酵熱を利用して促成栽培していた。このように栽培された初物の茄子は、縁起物として珍重されました。初物の茄子は当然値段が高く、茄子一個が一両もしたといいます。江戸時代、正月に初物の茄子を食べるのは、最高の贅沢で、庶民には高嶺の花だったわけです。だから、 初夢に茄子が登場することは縁起が良いとされていたのです。
ちなみに、『一富士、二鷹、三茄子』には続きがあります。『四扇(おうぎ)』、『五煙草(たばこ)』『六坐頭(ざとう)』と続くそうです。



花火のルーツ


花火のルーツは、中国で発明され「狼煙(のろし)」として使われた「黒色火薬」が花火の祖先だと言われています。花火は軍事
利用と共に発展したもので、その後シルクロードを通って、イタリアのフィレンツェで鑑賞用の花火が作られるようになりました。
日本に登場したのは江戸時代に入ってからで、1613年8月、徳川家康にイギリス国王の使者ジョン・セーリスが花火を見せたの
が最初です。(1589年、伊達正宗が花火を鑑賞したという説もあるらしいが。)当時の花火は竹筒から火の粉が吹き出すという
もので、花火の色は、赤橙色1色のみだったようです。その後明治のはじめ頃、マッチの原料として塩素酸カリウムが輸入され、これ
を日本の花火に応用し、現在のようなカラフルな色付花火がつくられるようになったそうです。

(参照)じゃらんのHP   City Do! のHP 



韓国で『相思華』と呼ばれる花


秋の彼岸の頃、真っ赤な彼岸花が咲きます。別名の曼珠沙華は梵語で「赤い花」、「天上の花」のことで、仏教の経典によると
おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天上からふってくるという意味があるそうです。その他、死人花(シビトバナ)、捨て子花(ス
テゴバナ)、火事花(カジバナ)など地方によって呼び名が多い花(千種以上)です。毒があるためか不吉なイメージの名が多く、
昔から余り良いイメージの花とされてきませんでした。田んぼの畦道や土手に多くみかけますが、これは野ネズミが畦道や土手に穴
を開けるのを、彼岸花の毒性のある球根を植えることで防いだといいます。また、毒は水にさらせばとれるので飢饉に備えて植えた
といいます。
彼岸花の葉は花が散った後、ゆっくり出てきます。花と葉は決して出会うことうことができないという事から、韓国では相思華(サン
チョ)というロマンチックな呼び名がついてます。「花は葉を思い、葉は花を思う」という意味。やはり冬ソナの国ですね。

(参照)新潟見どころナビのHP    ひだか巾着田のHP



祇園祭に欠かせない鱧



京都の夏といえば鱧料理。京都の祇園祭は「鱧祭り」とも言われるほど、鱧は京料理に欠かせない食材です。鱧は梅雨の水を飲んで旨くなると言われており、梅雨が明けるころが旬で、その時期が祇園祭と重なるため、祭りに鱧をご馳走する習慣が生まれました。
なぜ、京都で鱧が珍重されたのか?それは生命力が強くて生きたまま京都で売られる貴重な魚だったからです。冷凍技術が発達していない時代に、瀬戸内海から生きたまま運び込むことができる鱧は、海の無い内陸の京都で珍重されたのです。その生命力の強さにあやかり京都では古くから食されています。ただ、難点は、体中に小骨が多くて硬いためそのままでは煮ても焼いても食べられません。そこで京都の料理人は『骨切り』という料理技術を生み出しました。骨切りは約3cmに24回包丁を細かく入れ、しかも皮を切りません。この骨切りを丁寧にしたものは、熱湯に通すと反り返って白い花のように開きます。鱧が関西以外で食されな かったのは、骨切りの技術を持たなかったことと、近郊で新鮮な魚が豊富に手に入ったため鱧に固執する必要がなかったからのよう です。



無花果(イチジク)は花が咲きます


秋が旬のイチジクは、アラビア地方が原産で日本には江戸時代に入ってきました。昔はどの家の庭先にもあり、季節の味を楽しん だ身近な果物でしたが、今では高価な値がついてスーパーなどに並んでいます。イチジクは一見花が咲かずに実をつけるように見 えることから、漢字で「無花果」と書きますが、実際には実の中に無数の白い花を咲かせます。また、1ケ月ほどで熟することから「 一熟」イチジクと名が付いたようです。イチジクはアルカリ食品で、整腸作用があり、便秘の予防、痔の治療、喉の痛み、声がれなどに効果があります、また、美肌効果、二日酔いにも役立ちます。イチジクはそのまま生で食べるのが一般的ですが、生ハムに冷 やしたいちじくを添えれば立派な前菜(アンティパスト)になります。また、ジャムやドライフルーツ、コンポートやケーキ、ワインなどにも加工されています。



風鈴は魔除け


夏の風物詩といえば風鈴。涼しげなその音色は心を和ましてくれます。風鈴の起源は古代中国の風鐸にあります。風鐸は魔除けのために寺の堂塔の四隅に下げられたもので、日本には仏教とともに中国から伝わりました。風に吹かれて「ガランガラン」という音が魔除けになると信じられていたようです。音が聞こえる範囲の住民には災いが起こらないとされ、平安、鎌倉時代にはお寺だ けでなく、貴族の屋敷でも軒先に風鐸を吊るすのが流行したそうです。最初は夏の涼を求めるものではなく、魔除けとしての道具 だったわけです。
現在のような風鈴として使われ始めたのは室町時代で、一般的に普及するのは江戸時代です。また、人気の江戸風鈴のようなガラス製の風鈴が現れるのは、江戸時代の中ごろからです。この頃のガラス(ビードロ)はとても高価で富の象徴として大名や商 人のお屋敷に飾られたようです。



秋の七草(葛)を使用した和菓子


「葛饅頭・葛きり」は暑い季節にぴったりな和菓子です。葛の根から採れるでんぷん(葛粉)を原料としています。葛の語源は奈良県吉野郡の国栖(くず)に住んでいた国栖人と呼ばれる人々にあると言われています。この人たちは、応神天皇の時代に帰化した異民族で、葛からでんぷんを採り食用にしたり、里に出て行って売ることがあったのでその名がついたそうです。また、つるを利用して繊維(葛布)を織ったり、根を乾燥して風邪薬(葛根湯)に用いられ、古くから有用植物として重宝されてきたようです。葛が和菓子の歴史に登場するのは、鎌倉・室町時代、宋に留学した僧が日本に点心を伝えたことに始まります。その材料のひとつとして使われ、葛まんじゅうや葛きりの原形が作られたとされています。葛の花は秋の七草の一つに数えられ、詩歌にも多く詠まれてきました。

(参照)万葉集



千利休と朝顔


朝顔は、日本人ならだれでも知っている夏の風物詩ともいえる花です。今週は有名な千利休の朝顔(朝顔の茶の湯)のお話です。利休の庭の朝顔が見事に咲いていると聞いて、秀吉は利休に茶室に招待するよう命じました。約束の日に訪れましたが、庭には1輪の花もなく、秀吉はたいそう腹を立てました。ところが、利休はうろたえることなく茶室に案内します。身を正した秀吉の目に入ったのは、薄暗い床の間に生けられた一輪の朝顔でした。それを見た秀吉は庭一面に咲いている朝顔とは違う美しさに感動したのです。利休は秀吉をもてなすために、庭一面に咲ていた朝顔の中からもっとも美しい一輪を床の間に生け、他はすべて切り取ってしまっていたのです。茶室の床の間に生けられる花は、庭(露地)にある花は使わない決まりがあります。お客様にとって同じものを見るというのはつまらないものだからだそうです。豪華絢爛を好む秀吉に対して、一輪の花が持つ美しさを示した利休です。



名古屋名物”ひつまぶし”


名古屋でうなぎ料理と言えば、”ひつまぶし”(櫃まぶし)ですが、ご存知でしょうか?お櫃に入ったご飯に、幅1.2cmに刻まれたうなぎの蒲焼をのせたものです。お櫃の中で、まぶして(混ぜて)いただくので、”ひつまぶし”と呼ばれているようです。見た目はうな丼とあまり変わりませんが、ひつまぶしには独特の食べ方があります。
 一膳目:うなぎのそのままの味を
 二膳目:薬味(あさつき、海苔)のせて
 三膳目:薬味とおだしをかけて(うな茶漬け)
1度に、3通りの味を楽しむことができます。(うな丼、うなぎ混ぜご飯、うな茶漬け)どれも美味しいのですが、私はうなぎ茶漬が気に入っています。うなぎにお茶漬けなんてと思われるかもしれませんが、さっぱりしていてとても美味しいです。ひつまぶしは家庭でも手軽に楽しめますので、一度ぜひ、お楽しみください。



織姫と彦星


七夕といえば、彦星と織姫が年に一度だけ、7月7日に逢うことができる話が有名ですね。織姫はこと座のベガで、彦星はわし座のアルタイル)です。ともに一等星で、ベガは、天頂付近に輝く青白い美しい星です。ちなみに、七夕の夜には天の川にカササギが橋を架けて二人を会わせてくれるそうですが、二つの星の間にある天の川に羽を広げている白鳥座が、この橋の役割を果たしてくれているようにみえます。最近では夜中でも街灯などのせいで、星を眺めるのは難しくなってきましたが、たまには星空を眺めて織姫、彦星を探してみてはいかがでしょうか?(梅雨の真っ最中ですが・・・)実際、織姫と彦星の距離は16光年(光のスピードで15年かかる距離)もありますので、1年に一度逢うことは難しいようです。

(参考)星の神殿のHP



鵜匠は国家公務員


岐阜県の長良川では毎年5/11~10/15の間、鵜飼が行われます。長良川の鵜飼の歴史は古く1300年ほど前から行われ、「日本書記」にも記載されています。
元々、奈良時代に中国から伝わったもので、漁師が鵜を使って魚をとる漁法です。鮎が篝火の明かりに集まったところを鵜匠のたくみな手縄さばきで鵜を操り、鮎を捕らえる原始的なものです。この漁法が今日まで続けられたのは、時の権力者に手厚く保護されたためだといわれています。織田信長は、漁師たちに「鵜匠」の称号を、また、徳川家康は、川の様々な権限を鵜匠に与えました。しかし、明治維新後は特別な保護もなくなり、古代漁法として伝承されてきた鵜飼は消滅の危機に瀕しました。その後、明治23年に皇室の御狩猟場になり、宮内省は鵜匠に職員の身分 ”宮内庁式部職” を与えました。つまり、鵜匠は国家公務員なのです。現在、6人の鵜匠たちによって伝統の技が守られ、毎年数回、皇室に鮎を献上しているそうです。

(参考)岐阜市のHP 


秋の七草のルーツ


先日、信楽に仕入れに行く途中、すすきを見かけました。秋なんですね。すすきは秋の七草のひとつです。昔なら、ごく身近で七草を見ることができたようですが、最近ではなかなか難しくなっています。とても悲しいことです。秋の七草のルーツをご存知でしょうか?始まりは、1200年あまり前の万葉集にさかのぼります。
万葉集で、山上憶良が「秋の野に 咲きたる花を 指折り かく数ふれば 七種の花」つづいて、「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花」と読んで以来、秋の七草が人々に親しまれるようになったようです。こちら
「秋の七草には、朝顔は入っていないのでは?」と疑問に思われた方もいらっしゃると思いますが、万葉時代、朝顔と呼ばれていたのは桔梗です。みなさんがご存知の朝顔の花は、平安時代に中国から渡来したものです。桔梗は、後から日本に入ってきた花に名前をとられてしまった哀れな花です。草花の世界も大変なんですね。

(参考)群馬大学の青木繁伸教授のHP



「玉やぁー、鍵やぁー」って何


夏の風物誌といえば、花火です。花火大会であがるかけ声、「玉やぁー、鍵やぁー」とはいったいなんのことでしょうか?これは、江戸時代の二大花火師、「玉屋」と「鍵屋」のことです。江戸時代の両国の川開き(現在の墨田川の花火大会)は、橋を挟んで、上流を玉屋、下流を鍵屋の花火船が陣取って互いに技を競いあっていたことに由来しているそうです。花火が上がるたびに、声援、応援したのでしょうね。「いいぞ玉屋」 「負けるな鍵屋」なんてね。この玉屋は、鍵屋から暖簾分けによって独立していたのですが、技術も人気も分家の玉屋のほうが高く、かけ声も玉屋ばかりだったそうです。しかし、前途洋々と思われた玉屋も、天保14年(1843年)、自宅から火事を起こし町の半分ほど焼いてしまったため、家財没収、江戸追放になりました。その後、鍵屋がすべてを受け持つことになりますが、あがるかけ声は、[玉やぁー」ばかりだったそうです。






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